☆ポール・ニューマン略歴
★PAUL NEWMAN
1926年1月26日、アメリカ、オハイオ州クリーブランドで生まれる。中学生の頃から演劇に興味を持ち、エール大学でも経済を専攻しながら演劇部に入った。入学直後に、第二次世界大戦が勃発し、海軍予備将校訓練隊に入ったが、色盲のためプログラムから外され、魚雷の無線技師として三年間太平洋戦争に参戦した。
46年に除隊後、ケニヨン大学を卒業する。それから父の死で稼業のスポーツ用品店を継ぐが、店を弟にゆずってエール・ドラマ・スクールに入学した。しかし、一年で学資にこまり退学し、ニューヨークに出てアルバイトをしながらアクターズ・スタジオで本格的に演劇を学んだ。テレビ出演もするようになり、ブロードウェーの「ピクニック」の主演を抜擢され、それが認められてワーナー映画にスカウトされる。
55年「銀の盃」で映画デビューすることになり、56年「傷だらけの栄光」でハリウッドのトップスターとなる。
58年にジョアン・ウッドワークと結婚し、六本の共演と彼女主演の二本の演出もするなどして、ハリウッドでも有名な愛妻家として知られる。
67年に彼女主演の「レーチェル・レーチェル」で演出して、ニューヨーク映画批評家協会の最優秀監督賞を獲得する。また、人権擁護、非核武装運動家として政治活動もする。
68年には民主党大会でコネチカット州代表に選ばれ、ニクソン政権から「現政府に好ましくない人物」と言われる。しかし彼は、人種差別に反対し慈善事業にも積極的に参加している。
70年には映画監督ばかりではなく、製作にも乗り出す。また、熱烈なカー・マニアとして知られ、レースにも毎年のように出場する。
82年ダットサン280ZXに乗ってストックカー・レースに出場し優勝する。そして日産のスカイラインのコマーシャルなどにも出演している。
ニューマンは58年「熱いトタン屋根の猫」、61年「ハスラー」、63年「Hud」、67年「暴力脱獄」、81年「スクープ/悪意の不在」、82年「評決」、また68年自ら監督した「レーチェル・レーチェル」などの8作品がアカデミー賞候補になっているが、なかなか受賞には恵まれなかった。しかし、85年にアカデミー賞特別栄誉賞を受賞し、86年に念願の主演男優賞を「ハスラー2」で獲得した。
またニューマンは、66年「動く標的」、69年「明日に向って撃て!」、73年「スティング」、74年「タワーリング・インフェルノ」、75年「新・動く標的」、77年「スラップ・ショット」、81年「アパッチ砦ブロンクス」など数々のヒット作品にも主演しています。
★映画出演作品
〈1955〉
銀の盃/THE SILVER CHALICE
〈1956〉
傷だらけの栄光/SOMEBODY UP THERE LIKES ME
〈1958〉
熱いトタン屋根の猫/CAT ON A HOT TIN ROOF
長く熱い夜/THE LONG HOT SUMMER
左ききの拳銃/THE LEFT HANDED GUN
〈1960〉
栄光への脱出/EXODUS
孤独な関係/FROM THE TERRACE
〈1961〉
ハスラー/THE HUSTLER
パリの旅愁/PARIS BLUES
〈1962〉
青年/ADVENTURES OF A YOUNG MAN
〈1963〉
(未公開)/HUD
逆転/THE PRIZE
〈1964〉
暴行/THE OUTRAGE
〈1965〉
レディL/LADY L
〈1966〉
動く標的/HARPER
引き裂かれたカーテン/TORN CURTAIN
〈1967〉
太陽の中の対決/HOMBRE
暴力脱獄/COOL HAND LUKE
〈1968〉
脱走大作戦/THE SECRET WAR OF HARRY FRIGG
〈1969〉
明日に向って撃!
/BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID
レーサー/WINNING
〈1971〉
わが緑の大地/SOMETIMES A GREAT NOTION
〈1972〉
ポケット・マネー/POCKET MONEY
ロイ・ビーン/THE LIFT AND TIMES OF JUDGE ROY BEAN
〈1973〉
スティング/THE STING
マッキントシュの男/THE MACKINTOSH MAN
〈1974〉
タワーリング・インフェルノ/THE TOWERRING INFERNO
〈1975〉
新・動く標的/THE DROWNING POOL
〈1976〉
ビッグ・アメリカン/BUFFALO BILL AND THE INDIANS,
OR SITTING BULL'S HISTORY LESSON
〈1977〉
スラップ・ショット/SLAP SHOT
〈1980〉
世界崩壊の序曲/WHEN TIME RAN OUT・・・
〈1981〉
アパッチ砦ブロンクス/FOR APACHE, THE BRONX
スクープ/悪意の不在/ABSENCE OF MALICE
〈1982〉
評決/THE VERDICT
〈1983〉
ウイニングラン/WINNING RUN
〈1984〉
ポール・ニューマンのハリー&サン/HARRY & SON
〈1986〉
ハスラー2/THE COLOR OF MONEY
〈1989〉
シャドー・メーカーズ/FAT MAN AND LITTLE BOY
ブレイズ/BLAZE
〈1990〉
ミスター&ミセス・ブリッジ/MR. AND MRS. BRIDGE
〈1994〉
ノーバディーズ・フール/NOBODY'S FOOL
未来は今/THE HUDSUCKER PROXY
〈1998〉
トワイライト/TWILIGHT
〈1999〉
メッセージ・イン・ア・ボトル/MESSAGE IN A BOTTLE
〈2000〉
ゲット・ア・チャンス!/WHERE THE MONEY IS
〈2002〉
ロード・トゥ・パーディション/ROAD TO PERDITION
映画チラシ・パンフレット販売
『映画パンフ・プログラム・チラシ大辞典』
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jidai2005/
1926年1月26日、アメリカ、オハイオ州クリーブランドで生まれる。中学生の頃から演劇に興味を持ち、エール大学でも経済を専攻しながら演劇部に入った。入学直後に、第二次世界大戦が勃発し、海軍予備将校訓練隊に入ったが、色盲のためプログラムから外され、魚雷の無線技師として三年間太平洋戦争に参戦した。
46年に除隊後、ケニヨン大学を卒業する。それから父の死で稼業のスポーツ用品店を継ぐが、店を弟にゆずってエール・ドラマ・スクールに入学した。しかし、一年で学資にこまり退学し、ニューヨークに出てアルバイトをしながらアクターズ・スタジオで本格的に演劇を学んだ。テレビ出演もするようになり、ブロードウェーの「ピクニック」の主演を抜擢され、それが認められてワーナー映画にスカウトされる。
55年「銀の盃」で映画デビューすることになり、56年「傷だらけの栄光」でハリウッドのトップスターとなる。
58年にジョアン・ウッドワークと結婚し、六本の共演と彼女主演の二本の演出もするなどして、ハリウッドでも有名な愛妻家として知られる。
67年に彼女主演の「レーチェル・レーチェル」で演出して、ニューヨーク映画批評家協会の最優秀監督賞を獲得する。また、人権擁護、非核武装運動家として政治活動もする。
68年には民主党大会でコネチカット州代表に選ばれ、ニクソン政権から「現政府に好ましくない人物」と言われる。しかし彼は、人種差別に反対し慈善事業にも積極的に参加している。
70年には映画監督ばかりではなく、製作にも乗り出す。また、熱烈なカー・マニアとして知られ、レースにも毎年のように出場する。
82年ダットサン280ZXに乗ってストックカー・レースに出場し優勝する。そして日産のスカイラインのコマーシャルなどにも出演している。
ニューマンは58年「熱いトタン屋根の猫」、61年「ハスラー」、63年「Hud」、67年「暴力脱獄」、81年「スクープ/悪意の不在」、82年「評決」、また68年自ら監督した「レーチェル・レーチェル」などの8作品がアカデミー賞候補になっているが、なかなか受賞には恵まれなかった。しかし、85年にアカデミー賞特別栄誉賞を受賞し、86年に念願の主演男優賞を「ハスラー2」で獲得した。
またニューマンは、66年「動く標的」、69年「明日に向って撃て!」、73年「スティング」、74年「タワーリング・インフェルノ」、75年「新・動く標的」、77年「スラップ・ショット」、81年「アパッチ砦ブロンクス」など数々のヒット作品にも主演しています。
★映画出演作品
〈1955〉
銀の盃/THE SILVER CHALICE
〈1956〉
傷だらけの栄光/SOMEBODY UP THERE LIKES ME
〈1958〉
熱いトタン屋根の猫/CAT ON A HOT TIN ROOF
長く熱い夜/THE LONG HOT SUMMER
左ききの拳銃/THE LEFT HANDED GUN
〈1960〉
栄光への脱出/EXODUS
孤独な関係/FROM THE TERRACE
〈1961〉
ハスラー/THE HUSTLER
パリの旅愁/PARIS BLUES
〈1962〉
青年/ADVENTURES OF A YOUNG MAN
〈1963〉
(未公開)/HUD
逆転/THE PRIZE
〈1964〉
暴行/THE OUTRAGE
〈1965〉
レディL/LADY L
〈1966〉
動く標的/HARPER
引き裂かれたカーテン/TORN CURTAIN
〈1967〉
太陽の中の対決/HOMBRE
暴力脱獄/COOL HAND LUKE
〈1968〉
脱走大作戦/THE SECRET WAR OF HARRY FRIGG
〈1969〉
明日に向って撃!
/BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID
レーサー/WINNING
〈1971〉
わが緑の大地/SOMETIMES A GREAT NOTION
〈1972〉
ポケット・マネー/POCKET MONEY
ロイ・ビーン/THE LIFT AND TIMES OF JUDGE ROY BEAN
〈1973〉
スティング/THE STING
マッキントシュの男/THE MACKINTOSH MAN
〈1974〉
タワーリング・インフェルノ/THE TOWERRING INFERNO
〈1975〉
新・動く標的/THE DROWNING POOL
〈1976〉
ビッグ・アメリカン/BUFFALO BILL AND THE INDIANS,
OR SITTING BULL'S HISTORY LESSON
〈1977〉
スラップ・ショット/SLAP SHOT
〈1980〉
世界崩壊の序曲/WHEN TIME RAN OUT・・・
〈1981〉
アパッチ砦ブロンクス/FOR APACHE, THE BRONX
スクープ/悪意の不在/ABSENCE OF MALICE
〈1982〉
評決/THE VERDICT
〈1983〉
ウイニングラン/WINNING RUN
〈1984〉
ポール・ニューマンのハリー&サン/HARRY & SON
〈1986〉
ハスラー2/THE COLOR OF MONEY
〈1989〉
シャドー・メーカーズ/FAT MAN AND LITTLE BOY
ブレイズ/BLAZE
〈1990〉
ミスター&ミセス・ブリッジ/MR. AND MRS. BRIDGE
〈1994〉
ノーバディーズ・フール/NOBODY'S FOOL
未来は今/THE HUDSUCKER PROXY
〈1998〉
トワイライト/TWILIGHT
〈1999〉
メッセージ・イン・ア・ボトル/MESSAGE IN A BOTTLE
〈2000〉
ゲット・ア・チャンス!/WHERE THE MONEY IS
〈2002〉
ロード・トゥ・パーディション/ROAD TO PERDITION
映画チラシ・パンフレット販売
『映画パンフ・プログラム・チラシ大辞典』
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jidai2005/
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